空に星が見えなくても

少しずつ成長していけたらいいなあ

コスメ断捨離と良かったコスメ

久しぶりにブログを書く。V6が解散してからあっという間に時間が経って、その時間の流れで私の環境もガラリと変わった。

10年勤めていた病院から別の病院へ異動した。全くもって知らない診療科に配属だ。覚えることが多い。頭に入らない。加齢を思い知らされる。勤務地が変わったことによって、引っ越しもした。初めてのオートロック物件!なかなか快適である。

引っ越しを機に、前々から大して進んでいなかったミニマリスト化を大幅に進めた。とはいえ、また少しリバウンドしている気がしないでもないのだけれど。その際にコスメを随分と断捨離したのだ。

デパコスからプチプラまでガッツリと。

思い入れのある、限定品。このコスメのために早朝並んだあの日…なんて思い出に浸りそうになりながらおさらばした。

ミニマリストさんのインスタの記事なんか見ていると本当に少数精鋭ですごいなと思うのだけれど、まだその境地には立てなかった。

だが、色物はだいぶ減らした。年々、カラフルなパレットが似合わなくなってきているような気がしたから。あとベージュ系のメイクが流行っているから。まあ無難に越したことはない。最後にそこ見えさせたパレットといえば10年近く前に使っていたルナソルのスキンモデリングアイズのベージュベージュだったのだ。やはりベージュ系パレットは強いのかもしれない。適当に塗っても様になる。化粧直ししやすい。アイブロウやアイラインとの互換性も高い。いいことづくしだ。そんなわけで、集めに集めていたカラー系のメイクパレットは手放した。いくら思い入れがあっても使わなければ意味がない。

悩んだのがCHICCAだ。CHICCAのコスメはもう二度と買えない。だが、確実に年数は経ち、劣化していく。私はこのブランドのリップグロスが大好きだったのだが、リップグロスは水分量が多い。劣化、雑菌の繁殖、と考えると水分の多いコスメはなるべく使用期限内に使った方がいいだろう。見ているだけでも幸せであったが、マスク時代のこの時代、活躍の場を見出すこともできなかった。アイシャドウも大好きであったが、なかなか手に取る機会も少なかったこともあり、手放すことにした。何やかんやでUNMIXとして吉川さんが再びコスメを作ってくれているという安心感もあった。使いたくなったらまたそこへ向かえばいい。

 

なんて具合にあれこれ取捨選択して、時には新しい仲間を入れた。

韓国コスメはロムアンドが至高であったが、この度、デイジークのパレットを迎え入れた。どれも似てるな、と正直思っているので、そのうちどれか断捨離されてしまうかもしれない。が、特にお気に入りなのが下瞼用の四色パレットだ。

全てにおいてバランスがよい。下瞼用だが、これで上瞼のメイクをしても十分可愛い。適当に塗っても可愛い。すごい。可愛さの秘密は何だろう。多分、左上のラメだろうか。絶妙なラメなのだ。大きすぎず、小さすぎず。黒目の上と下、目尻にちょっと乗せるとすごく可愛い。何も考えたくない時にぱぱっとできる。丁寧にやっても可愛い。すごい。完璧だ。9色パレットも可愛いのだが、この4色パレットの厳選された感はすごい。一生ついていきたい。

それと、韓国コスメのエチュード。一年越しにお迎えできたオータムクローゼット。いつ行っても売り切れごめんで入手できなかったのだ。嬉しい。小躍りしながら原宿の街を歩いてしまった。これは旅行の時にめちゃくちゃ役に立つ。鏡がついている。最高。そして色味。このパレットでアイメイク周辺が整う。眉毛だって描けるし、アイラインだって引ける。涙袋偽造だってお手のものだ。これだけだったらキャンメイクの全色マットの5色パレットでも代用できるのではと思うが、エチュードのパレットにはラメが入っている。ラメ食って生きているような私にはラメがないというのは死活問題である。このラメも絶妙によい。エチュード、永遠にオータムクローゼット出していてくれ。

そしてそして。

これも一年越しだろうか。ルナソルの宝石職人パレット。正式名称を忘れた。だが伝わるだろう。あのラメが強いベージュパレットだ。

限定品だったものがレギュラー販売になった伝説のあれだ。

ボーナスが出た際に買った。久しぶりのカウンター、ドキドキしました。え、もうタッチアップもしてもらっていいんですか、時間の流れってこわーい!初心な反応しちゃったよね。

文句なしできれい、可愛い、薄づきなのにちゃんとしている感がすごい。ベージュベージュをそこ見えするほど使った女としては感動を覚えた。永遠に販売してほしいとプロポーズしたいくらいだった。私の悪い癖で、大事なものほど使う機会を減らしてしまうので、明日絶対使う。

 

そんなわけで、ここ一年で感動したコスメの覚書でした。

リップとかは特に買ってないし、チークも全然使わないから特にないけど、あれはすごい。セザンヌの二色のぷにぷにのやつ。あれはいい。何しようかなって思った時にすぐ手が伸びる代物です。セザンヌほんとすごいよね。クッションファンデとかも出してるし。あと、繊維が入ったマスカラ大好きです。

 

今年の目標はコスメ買わない、と思ったんだけど年始早々にとある舞台の主役のメイクが可愛くて、マジョマジョの単色アイシャドウにあるピンクを買ってしまった。名前は忘れてしまったが色番号は321です。絶妙なベージュピンクでこれを上瞼目尻から下瞼全体にかけて入れるとすんげえ可愛いっす。ジェネリック舞台メイクを楽しみました。今年もメイク楽しみたいですな。

拝啓 V6様へ

26周年、おめでとうございます。

6人が欠けずに過ごしたその年月にただただ感謝と尊敬です。

 

なんて、お手紙風に始めてみましたけれど、私のV6に対する振り返りです。

11月1日のラストライブを見るまでの間、まとめようかどうしようか迷っていたのですが、そんな暇がなかった。それくらい、V6は私たちに絶え間なくいろんなプレゼントを届けてくれた。だから、こうして全てが終わった今、文章を認めているのです。

ただ、ただ、寂しい。

幸せなのに、寂しい。

この寂寥感はいつか拭えるのかしら。

 

私がV6に出会ったのは小学生の頃。構成するメンバーの一人一人の名前は知らなくともグループ名は知っていた。

それくらい、日常にV6はいました。

「WAになっておどろう」とか「ウルトラマンティガ」とか「学校へ行こう!」とか。学校に行けば、クラスメイトたちからそんなワードが飛び交っていました。

母がドラマ「コーチ」が好きで一緒に見ていたのもぼんやり記憶に残っています。「あの子、ジャニーズなのに演技上手なのよね」と井ノ原くんのことを褒めていました。

父は「ジャニーズはちゃんと服を着ないから好きじゃない」なんてMステを見ている時にコメントしていたのを覚えています。確かに、上半身裸にジャケット引っ掛けているスタイルでしたものね。うーん、服をちゃんと着ていない、と幼いながらに思いました。ちょっと恥ずかしいぞ、と。

弟が昆虫と野球にハマっていた頃。確か24時間テレビかV6がパーソナリティをしていました。ナイナイとクワガタか何かを取りに行っていたんですよね。なんだかそれを夢中で見ていたのをぼんやりと覚えています。(違ったらすみません)

まあ、そんな感じで私の日常にはV6がいたんですよね。

小学校5年生の時、クラス替えをしてV6が好きだという子と友達になりました。彼女は「森田剛くんが一番かっこいいよ」と下敷きだったか、何かを見せてくれました。それからちゃんと「学校へ行こう!」を見るようになりました。私は、三宅健くんが可愛いなと思って好きになりました。犬夜叉のOPテーマも歌っていた頃ですね。初めて自分で買いに行ったCDは「愛のmelody」でした。ドキドキしました。両親にV6の話題を出されると顔が熱くなって、あんまり語りたくなかった、あの微妙な心境を今でも鮮明に思い出します。

それから三宅くんは「ネバーランド」というドラマに主演として出演します。言わずもがな毎週しっかり見てました。もうその頃には立派にV6のファンです。自ずとV6の番組をしっかりと見るようになって、ちゃんと顔と名前が一致するようになりました。弟と「お笑いV6病棟」のコントを毎日見て転がって笑っていました。

小学校 6年生の夏休み。人生で初めて原宿のジャニーズショップへ行きました。ジャニーズショップに入るまですごい行列で、何かのために並ぶなんてディズニーランド以外にあるんだと新鮮な気持ちになりました。日照りが強くて、木陰に入ると涼しいけれど、ホームレスのおじさんのダンボールハウスがあったり。東京って怖いとこだわ、なんて思ったかもしれません。ジャニーズショップはびっくりするほど狭くて。その狭い空間にぎゅうぎゅうに写真が貼られていました。番号を書く紙を持ちました。汗に湿った紙に丁寧に番号を書いていきました。ついでにだったのかな。カレンダーも買いました。帰りの電車で黄色い袋が幸せの象徴みたいに手元で揺れているのをすごく覚えています。

カレンダーには個人のプロフィールが載っていました。今ほど簡単にインターネットが見れる環境ではなかったので、まじまじと個人のプロフィールを眺めました。確か足のサイズとかも載っていたのかも。剛くんの体重が軽すぎる、と激震しつつ、井ノ原くんは5月17日生まれであることを知りました。運命じゃん!私は口には出せませんでしたが、そう思いました。だって十数年生きてきて、初めて自分と同じ誕生日の人を見つけたんですもの。それが好きなグループのメンバーだったら尚更のこと。神様が、「貴方はV6を応援し続けなさいね」と言われているようでした。

記憶が前後するのですが、中古ショップで「Project V6」を買って、弟に頼んでゲーム機を借りたこともありました。ダフ屋と戦う私、ことマネージャー。弟が隣でゲラゲラ笑っていました。坂本くんは休みの日にプラモを作るのか、なんて豆知識を得たり、井ノ原くんに目薬のCMのオファーが来たり。

中学校1年生の夏休み。とうとう私は V6のコンサートに現地参加しました。

三宅くんのうちわを買って、一緒に行った友達は「井ノ原くんの歌い方が最高に好き」という理由で井ノ原くんのうちわを持ちました。

オープニングで 6人が出てきた時「同じ空間で呼吸してるー!」という事実で感極まっていました。とにかく幸せだった。こんな幸せなことあっていいのかな!と思うくらい。そうして体感時間5分くらいの私の初めてのコンサートが終わって、クタクタなのにテレビを見ていたら「錦鯉」というドラマがやっていました。当時「演技者。」という深夜番組があって、ジャニーズのアイドルたちが1ヶ月単位で様々なドラマに取り組む番組だったのですが、東北の田舎でもやっていたんです。週遅れだったかもしれませんがちょうど私がV6のライブ見たてホヤホヤの時に、坂本くんと長野くんが「錦鯉」というドラマに出演していたのです。「運命じゃん!」と思ってテンションそのままに観ました。確か、役どころは、長野くんがヤクザの組長、坂本くんがその組員だったかと思います。内容は細かく覚えていないのですが話が進むにつれ「あ、私、この人のファンだ!」と長野くんのファンになっていました。理由はしっかりとしたものがないのですが、後付けとするならば私はこの時から「ギャップ萌え」をしやすい人間だったということでしょうね。「錦鯉」では温厚な長野くんが声を荒げるシーンもあったり、スーツを脱いだら美しい背中にこれまた威厳をたたえた錦鯉の刺青が彫られているのですから。なのに「学校へ行こう!」だと優しかったりたくさん笑っている印象が強い。

そのまま確か「MOBI」を見たんだと思います。あの頃、長野くんは「食」より「モータースポーツ」のお兄さんでした。マシンや選手について饒舌に語ったり実際に乗って運転する姿はまあ、なんとも「かっこいい男性」でした。これには車好きの両親もちょっと興味をそそられたようで一緒に番組を見ることもありました。

 

中学生の時分というのは、学校では先輩後輩関係も去ることながら、同級生同士も関係性がひねくれたりします。

私もすっかりドツボにハマって部活動の人間関係が拗れました。ちょうど中学2年生の頃だったかな。死んじゃったら楽かななんて漠然と思って、部活をずる休みすることもありました。

そんな時「 V6ネクストジェネレーション」というトニセンのラジオ番組が支えでした。本当に、しょうもないことをトニセンの三人が喋る1時間番組で、しかも地方局でしか聞けない。(今でこそラジコがありますのでどこでも聞けますが)

AM放送のカミセンの番組はザラザラのノイズの中でやっとこさ聞いていたので、そんな手間もなくゆっくり聞けたんですよね。

気持ちが落ち込んで、孤独を味わっていた時にも、トニセンの声は具体的に励ますでもなんでもなく、楽しくお話を聞かせてくれる。聞いているうちに、私もこんなふうに他人と話ができるといいなと思うようになりました。

あー、そうそう。ジャニーズウェブもその頃始まりましたよね。「いのなき」の「赤いドレスの女」をいまだに覚えています。三宅くんの誕生日に井ノ原くんが赤いドレスを着てお祝いをするという話。それから長野くんの「クルマでグルメ」三宅くんの「にこにこ健」坂本くんの「M gallery」夢中になって読んでいて、勉強しないから母にケータイを取り上げられたこともありました。受験生でしたしね。当然ですね。

 

高校1年生の秋。V6は10周年を迎えました。学校へ行こう!の 6人旅はお腹が捩れるほど笑ったし、「ホールドアップダウン」が公開されました。友達とバスに乗って小一時間の小旅行を経た先にある映画館まで足を運びました。田舎辛い、と思いましたね。でもその前の「ハードラックヒーロー」は地方で公開されていなかったのでそれに比べたら嬉しい限りです。10周年のライブも見に行くことが出来ました。友達と「手旗信号のところ、めちゃくちゃ可愛いよね!」と大盛り上がりしました。そう、生shelterを見れたの、一生の思い出かもしれない!

高校2年生の夏もV6のコンサートに参加できました。初めての、聖地 代々木!でかい!広い!電車移動で母は疲れて開場まで表参道にあるオシャンなカフェでアイスティーを飲みました。コンサートの記憶は断片的で、三宅くんが「親指さがし」の宣伝をしていたこととか、グッデイ!をキレキレに踊っていたこととか、長野くんのために井ノ原くんが作った「つぼみソング」がかわいかったことくらいしか思い出せない。あれ、岡田くんがピアノを弾いていたのはこのコンサートじゃなかったかな?円盤になっていないのが悔やまれますね。円盤による記憶の補完ってめちゃくちゃありがたい。

さてさて、そんな嬉しい思い出を作れた反面、弟の野球が忙しくなりました。それに伴って、私も家に帰る時間が遅くなって「学校へ行こう!」が見れないなんてことが増えてきました。それと代替えするように私はアニメや漫画にハマっていったのです。時折、シングルを買ったり、アルバムを買ったり、DVDを買ったり。

そうそう。ちょうどこの頃、ファンクラブ会員宛に、井ノ原くんからのお手紙が届きました。結婚の報告、V6から初めての既婚者。それは学校へ行こう!でも放送されました。ファンに一番に伝えたいという井ノ原くんの思いが溢れた発表で、私は単純にすごいなあと尊敬しました。それと同時に、 アイドルも一人一人、ライフイベントを迎える私たちと同じ人間である、ということを実感しました。悲しいとか、そういうことはこれっぽっちもなくて、ただただ、 V6というアイドルグループからそうやって着実に人生を歩もうとしている姿を見て、嬉しく思えたのです。

そうして私は受験生となり、志望校に合格して、念願の上京を果たしました。

思えば、コンサートに行きやすいようにするために関東の学校を目指していたのに、すっかりその目的は忘れ去られていました。

でも、なんででしょう。帰巣本能とでも喩えましょうか。年末の歌番組を眺めているとV6の姿を見て「ああ、 V6のライブ見たいな」と気持ちが戻って、DVDを見るなんてことをずっと繰り返していました。

 

看護学校に進んだ私は、目まぐるしい実習の最中、聞いていた音楽は紆余曲折せよV6に帰ってくるのです。特に、最終学年のギュウギュウに詰め込まれた実習へ向かう途中「サンキュー! ミュージック!」を聞いてよく励まされました。ハニビですらピンとこなかったのに(!)

未来を行く自分からの励ましのメッセージ、そこに音楽があること。単純明快な歌詞とV6の程よく力を抜いた、爽やかな歌声。本当に、助けられました。今思い出しても泣けてくる!ほんっとうにきついんですよね、看護実習て!!!

そんなんで、乗り越えて、国家試験になんとか合格して。

そういえば、Ready?コンに参加するであろうファンの方を東京駅で見かけた時「そうだ、コンサート行きたかったんだよな」と思い出したのでした。

 

2011年大地震と入職を経て、私は5年ぶりにV6のコンサートに参戦しました。ちょうど10月9日。長野くんのお誕生日の回でした。うっわ、すっごいかっこいい、意味わからん。なんて、本当、記憶を失うほどに楽しくてキラキラした時間を体験しました。あの初だしスパノバを現地で見ることができたのは何事にも変え難い最高の瞬間でした。友達がグッズも可愛くていいね〜なんて褒めてくれたのも覚えています。

この頃のV6、試行錯誤をしていていいなあと思っていました。セクバニ然り、キーポン然り。バリバリとか。アルバム「Oh my goodness」その影響を色濃く反映していると思います。井ノ原くんや三宅くん、森田くんや長野くんが楽曲をプロデュースするのも初めてでしたね。V6しか知らないのでなんとも比較はできないのですが、彼らは「うちのメンバー最高なんで、うちのメンバーが輝けるものを作りたい」みたいな気持ちが以前から強かったように思います。はっきりとした先駆けは2008年の「VIBESコン」なんでしょうか。ライブ演出を岡田くん、衣装を森田くんが担当していましたね。

2013年の「OMGコン」は人生で初めての多ステというものにチャレンジしました。代々木と仙台。セットリストがちょっと変わっていたり、舞台装飾が変わっていたり、とツアーの中で色々変えて行っているんだなあというのを知ることができました。

残念ながら、私がV6に会いに行けたのはこれが最後となってしまいました。(ここから長い長い2次元オタク人生が始まる)

 

気づいたら20周年を迎えていて。20周年コンサートはリボンシャワーを見て大号泣。2016年は長野くんがご結婚され、ベストアーティストで報告していて本当に嬉しく思った。国分太一くんが言っていた「長野くんの幸せは事務所の幸せ」まさしくそれ。世界一幸せになってほしいと心から願った。

2017年の「ONESコン」はまた新しいV6が見えてこの人たちはどこまで行くんだろう、きっとまだまだ行くんだろうな、と期待と安心を抱いていました。

2020年25周年ライブ。コロナ禍で行われた配信ライブ。どんなふうにするんだろうなんて軽い気持ちで見たら、前回よりもさらに進化したV6がいた。構成も楽曲も、衣装も。そう、なんだか衣装がすごかった。後から「Ride  on Time」でたくさんこだわっているのを知った。水の中での「TL」のダンス。メンバーみんなが身体を酷使しながら作り上げていた。その姿を見てしまうと、もうやめたっていいんじゃないかと思った。十分頑張ったのでは、と。それでもライブ当日V6は「やっぱりファンに会いたいよね」「有観客でやりたいね」と言い切っていたのだ。

この配信ライブを見た時「 V6というグループは完成に近づいていて、この先緩やかに存続しながら5年後の30周年に有観客でライブができたらいいんじゃないか」と思った。

この時期には解散が決まっていて、多分発表時期とか準備とか水面下で色々と動いていたんだろうなあと今振り返る。そんなことは微塵も感じさせない。進化を遂げ、まだその先を見せながら、 V6を箱にしまう作業を同時進行させていたのだろう。

本当に、すごく素敵な人たちだ。

3月12日の解散発表。仕事中だった。頭が真っ白になった。同時にいつか来る日が、今日だったのだと思った。

それからの時間は今まで以上に丁寧に、丁寧に生きているように見えた。V6は誰よりもV6を愛していて、だから大切な宝物を綺麗なまま保存できるように箱にしまったのだろう。

途中2次元オタクを挟んだけれど、2次元の作品ですらこんなに綺麗に終われることはあまりなくて、なのに、先の予見できない3次元でV6は綺麗に風呂敷を畳めたこと、その時間に立ち会えたこと、これだけで私は現世を生きている価値があると感じる。

 

11月1日のラストライブ。私はもうMFTPで画面が見えなかった。もう、6人でこの曲を歌って踊ることがないのだと、頭をとんかちで殴られたような感覚に陥ったら、涙が止まらなかった。それでも6人は時間を止めなかった。今までのV6を挟みながら新しいV6を展開した。95grooveをラストの曲に選んだ意味がわかった気がした。

森田くんの「僕は幸せでした」に集約されていると思う。ファンはアイドルの口からその言葉が聞けただけで十分だった。

(その後の健くんのラジオで「死ぬわけじゃないし!」と乗り込んできた井ノ原くんと長野くんに嬉しくなったし、坂本くんの「またこの景色を見れるように頑張りたい」もただ、ただその夢が叶ってほしいと思う)

 

私にとってV6は夢を見せるだけのアイドルじゃなかった。アイドルが、大人になって、一人の男性としてどう生きるかというのを背中で見せてくれる存在だった。距離は遠くて最後までキラキラしているのだけれど、ちゃんと地面には影がある。そういう存在だと思う。私は、V6から生き方を学んだと思うし、これからもきっと学んでいくのだと思う。

 

26年間、お疲れ様でした。

そして、V6の思い出を抱きしめながら、これからも応援していきます。

 

いつまでもあると思うな推しの活動

今日は、10月27日。本日から二日間『LIVE TOUR V6 groove』横アリ公演ですね。

横浜市民の私、このご時世じゃなければ地方公演というか初めてV6のライブに行った仙台公演とか、長野くんのお誕生日公演だった北海道公演とかそのあたりを申し込むつもりでした。けれど、感染状況と職業倫理的にいくら最後に推しに会いたくとも地方へ飛ぶのはいささか私のモラルが拒否をしました。なので、横浜公演一本に絞っていたのですが……本抽選はしっかりと落選して、復活当選もなく!

もう、会えないんだなあ、なんて思っていたところに「制作解放席の抽選のご案内」が!そんなわけで、仕事の都合的に今日、27日がベストだったので申し込んだのですが、落選でした。

 

いやいや、これはね、敗因がいくつかあるんですよ。

1つ目は、ファンクラブの更新を怠っていたこと。

ジャニーズのファンクラブって今でこそクレカ支払いとかいくつかの支払い方法が選べるようになっていますが、確か数年前まで郵便局のATMでしかできなかったんですよね。それがもう、面倒臭くて…。ちょうど別の趣味に忙しくなっていて更新しないまま数年たっちゃったんですよね。悲しみ。そりゃあ、会員番号だけ見ればホヤホヤの新人ファンですわ。

2つ目は、申し込み方法を完全に失念していた。

あのねえ、そう。いきたい日時の公演にね、枠いっぱい執拗以上に第3希望まで入れ込むんですよ。そうそう。忘れていました。

3つ目は、やんわり離れていた時期かな!

見れば安心するし、ライブ円盤は欠かさず見ていたのですが、リアタイ追うってなかなか体力使います。私みたいな器用じゃない人間はひとつのことしか追っかけられないから、掛け持ちするとすぐに距離が空いちゃうんですよね。これは完全に私の傾向を見誤った。

 

なあんて、過去に遡りたいこと山の如し。できるなら20周年あたりに遡りたいですわ。まあ、ローソンの一番くじ、近所のローソンですぐに終わっていてドキドキする時間すら与えられませんでしたが。

とはいえ「制作開放席にお招きいただけるかもしれない!」というワクワク感で1週間仕事も頑張れたし、なんか可愛い洋服を調達しに行っちゃったし、ときめきながら過ごせたこと、やっぱり推したちの威力ってすごいなと改めて思いました。短い期間だったけれど、期待に浮かれた楽しい時間を過ごせたこと、嬉しく思います。

 

そんな教訓を生かして、11月1日以降の推しを愛したいと思うし、この記事をたまたま見た、愛おしい推しがいるあなた。

「いつまでも あると思うな 推しの活動」

ってことで。

先々、推しが活動休止したり解散したり引退すると想像して、自身の身の振り方を、後悔のないように想像してみてくださいね。

「面倒臭がる」これが一番の天敵だと思います。ちょっとの手間が後々の安寧につながるはずですので。

 

追伸

ミッツマングローブさんがV6について語っている動画を拝見しましたが、その時に「これからファンはV6の音楽をたくさん聞いて熟成させてその良さを伝えていく使命がある」なんてことをおっしゃっていました。そうか、私はまだV6のファンでいられるのだ、と嬉しくなると同時に、離れてしまった時期を埋めること、これまで世界の全てだった時間をもう一度振り返ることを、これからはたっぷりと時間をかけて愛していきたいなと思いました。まだまだ通常盤のカップリング楽曲、聞けていないものがあるんですよね。私はまだ、これから、知らないV6に出会えるんだなあ。

youtu.be

(前編もめちゃくちゃ素敵だったのでぜひ見てほしい~!)

2021.10.09

では、ひとまずあの動画を貼っておきましょうか。

youtu.be

 

Happy Birthday!長野くん!

ONESコンでは45歳でしたが、今年は49歳のお誕生日でございます。おめでとうございます。

そんな良き日に北海道でコンサートとは。本当におめでたい。

近年、長野くんの誕生日をまたいだツアーが多くて毎回MC集とかが楽しくなるの、良きですよね。私も過去に一度だけ幸運にも164の日に参戦できたことがあって、最高にハッピーでした。貴重な体験させてもらいました。

 

最近、長野くんのソロ曲「My life」が大好きです。発売当初はあまりピンとこなかったのですが、大人になってからこの内に秘めるがむしゃら感が響くなあなんて思いました。それにしても、なんとなく長野くんって星に願い事を祈るタイプじゃなさそう。絵になるのだけれど、そういう他力本願じゃなくて、やっぱり一歩一歩着実に自力で自分の道を拓く人のように思います。そういう、見た目の繊細さと裏腹に地道な努力を怠らない強さと物事に対する堅実さが素敵ですし、尊敬に値するんですよね。ゴール地点を先読みするような妥協はなく、好きに誠実なところ、やっぱりすごいです。

この先も元気であってほしいし、幸せであってほしい推しです。応援しています。

そんな感じで、本当はアップルパイ食べたかったけれどりんごをそのままいただきながら失礼します。

涙腺決壊アルバム『STEP』

 

 

STEP 聞いたよ~~~~~!!!!!

 

9/4発売のV6 14thアルバム『STEP』ワクワクしながら待っておりました。届いた当日は曲を聞かずに特典映像を見るという行動をとりました。だってYouTubeで見てて死ぬほど楽しみだったんだもん!!!!

そんでもって、今日まで通勤やら買い物の道中でアルバム曲は聞いていたのですが、いっちょヘッドホンをして歌詞カード(というか冊子だった)眺めながら聞いてやろうじゃないの!とあんまりじっくり音楽を聴く性分じゃない私が頑張りました。

 

『雨』

言わずもがな、このアルバムのリード曲です。シトシトと雨が降っている音自然音から始まりピアノの音。健くんの「雨 雨」からの歌いだし。全体を俯瞰して聴いているとノイズまじりのレコードみたいなそういう靄がかかったように聞こえるのも面白いですね。「死ぬまで~」のところが長野くんだと知ったのはCDTVで見たときだったのですが、この雨が強すぎて煙るような霧みたいな声がまた良きです。MVの印象も強く、絶望とか苦しみとかそういう感情の中に生き生きとそして鬱蒼と広がる森という生と死が同時に存在する咀嚼に時間のかかる楽曲で、ずるり、とアルバムの中へ足を引きずられます。

 

『blue』

『雨』によって引きずり込まれた先が仮想空間みたいな面白さがありますよね。電子ピアノの音がドキッとします。足元は濡れているけれど、雨が上がって晴れた空が見えてくる。高まるリズムによって快晴が見えるみたいな。この曲で「バタフライエフェクト」って何、と改めて調べていたのですが、こういうところがプロデュースした長野くんの謙虚さと秘めている冒険心みたいなのを感じさせてくれると思いました。さわやかさと力強さ。V6が過去の楽曲で幾度も見せてくれた安心感もありますよね。あと奥行のある曲。空間があるっていうんですかね?5GのVR映像を思い出すからかもしれません。 

 

『BestChoice』

晴れ渡った空を飛んだ先に、ショータイムがあった、みたいな。おお、ここはNY?みたいな軽快なブラスバンド。坂本くんの矜持を感じるようなタイトル、歌詞、そして歌声!ステップを踏んでみたくなる曲なのもすごく良いし、ああ、知ってるV6だな~なんて思わせてくれるんですよね。いやあ、ライブで見たかったなあ~~!!!

 

『SweetDays』

岡田准一と言ったらラブソング。なんて私の頭の中には刷り込みがされているんです。だから、タイトルからしてなかなか甘いもの来たなあなんて思っていたんですね。歌詞もさらっと読むとかわいらしい。末っ子准ちゃんだわ、なんて感じるけれど、よくよくさらっていくとV6からファンへの愛情みたいな、そういうふうにも読み取れるのかな。みんなでクラップできるようにしているんですねえ。今まで通り声を出せるライブだったら、コーラスも会場に足を運んだファンができてたんだろうなあ。

 

『トビラ』

『over』のアンサーソングなんですよ…おおん。Overはトニセン歌いだしでしたけれど、トビラはカミセン歌いだしだし、歌詞も、ああ~ってなる。仮題が「V6ソング」だったというこぼれ話もなんだか可愛いし、ほんとうその通りだなあなんて。今でこそ年齢差を感じさせない素敵なグループだけれど、Overが出された90年代はまだまだ大人と子供って感じがしていましたね。それが…こんなに大きくなって…(泣)ほっこりします。

 

『素敵な夜』

井ノ原快彦ワールド炸裂な面白い楽曲。掛け合いしているメンバーが想像できて可愛いです。しかし、この曲、歌詞を追っていくと、大丈夫か?大丈夫なのか?とちょっと不安になってみたり。とはいえ、レトロな曲調が可愛いなあって癖になる曲。ライブでの掛け合いもとってもかわいいらしいので、配信楽しみだなー!

 

『分からないだらけ』

おわーなんだこのふにゃふにゃした空間は!!!と初見混乱しました。健ちゃんプロデュース曲。さすが、おしゃれの最前線をいっている人だなあと思いました。Tempalayさんを存じ上げていないのが申し訳ないのですが、こんな芸術的な音楽なさる方がいらっしゃったんですね。「V6が歌いあげているのがすごい」みたいなツイートをいくつか見かけていたので、本当に独特な世界観のアーティストさんなんだろうなあと。いや、私もこんな曲歌うV6初めてでした。まだ見ぬV6があるもんだ。

 

『Let Me』

『分からないだらけ』で新種のV6を目の当たりにしたあとのこの曲。おお、王道。まっすぐだなあ、と。そうです、これはV6のアルバムですよ、と教えてくれるみたいな。V6にも重なるし、誰かに向けたエールにも聞こえるし。シンプルにトニセンカミセンの掛け合いなのもいいですね。なんだろ、『太陽のあたる場所』を思い出しちゃうな。

 

『家族』

そうそう、V6ってこうだよねと思わせてくれる『Let Me』を終えて、「俺たち 家族」ときたもんだ。泣くしかない。はちゃめちゃにシンプルなのに深い歌割に心臓掴まれます。長野くんの「また綺麗な海見に行こう」で泣くしかなかった。すまん、長野くん担なので…。いや、本当、長野博の歌割は、その、誰が考えたんですか?天才森田剛ですか?ドキッとしてしまう歌詞の連続でしばらく茫然としてしまうのですが。家族、家族と繰り返されるワードに、これまでのV6の歴史がぶわああって走ってきて、いや、森田剛から繰り出されるワードってやっぱパワーあるわ。

 

『High Hopes』

カミセンらしいかっこよい曲。Coming Centuryの名は伊達じゃないなと思うような未来を見つめる歌詞がやっぱりカミセンたる所以なんですよね。いつだってカミセンは進化を見せてくれる。それもジャニーズの中でもとびぬけたセンスを持って、と自負しているのが見えてやっぱりかっこいいなあ。

 

『グッドラックベイビー』

出だしwwww裏返ってるwwwとか緩いところから始まるんですけどね、あのね、曲が始まってからもうだめなんだ。井ノ原くんの優しい声が聞こえて、長野くんの「そろそろ旅たちの時が」でぶわあああって目から水がこぼれるんだよ。坂本くんの「始まりの合図」であーーってなる。(語彙さよなら)アルバムの最初の情報が出たときにトニセンの楽曲タイトルが『グッドラックベイビー』て出て、カミセンにあてた曲じゃん~なんて冗談めかしたら本気で来たから泣くしかない。ずっと肩を並べて、ときに引っ張って、背中を押して、見守ってきたお兄さんたちなんです20th Centuryは…!作詞が森山直太朗御徒町凧の時点で安心と信頼が確約されていたんだなあ。通常盤の終わりがこれなのが、本当、完成されていて…だめだあ…泣いてしまううう…1周目、見事に嗚咽を漏らしました。ありがとうございました。V6に幸あれ。

 

勢いで書きしたためましたが、なんかもう、ただの感想文。でも本当に通常盤良いんだ。良すぎるんだ。ブックレットがあってでかいけれど、そのブックレットもエモさ大爆発の代物なんだ。ファンじゃない方からしたら「?」みたいなことになるかもしれないけれど、けれど、曲だけでも聞いてくれ…26年間メンバーを変えずに一緒に走ってきた男たちが何を思って何を歌うのか、大多数の人間には到底経験できない関係性を築いてきたその深い愛情の結晶を、音楽を通して、ひとりでも多くの人に感じてもらえたら、なんて思う。

はじめました夏

iPadの中を色々見ていたら、かつてDLしてあったはてブのアプリを見つけた。(元々はiPhoneでDLしていたようだ)

何かを書き記したかったのだろうけれど、結局今日の今日まで使われることなくそっとデータとして眠っていたのだ。確かに、このアプリをDLした頃はまだいろんなことに忙しかったように思う。けれど、最近はそこまで趣味を精力的に頑張ることもないし、仕事へのやる気もそこそこだ。外に出かけてイベント……なんてこともすっかりご無沙汰になってしまった。

すごく深い内容の話を書けるわけでもないけれど、せっかくだし、色々と振り返りながら記録を残せたらいいなと思った。高校生の時には毎日ブログを書いていたものだが、mixiやらTwitterにその地位は譲られてしまったのだ。それに、社会人になると日々記録することも少なくなるように思う。単純に体力が失われているだけのようにも思うし、思春期の頃のような何事にも面白さを感じるアンテナが鈍くなっているようにも感じる。

 

簡単に、私の自己紹介を書いておきます。

関東で看護師をしている30代。B型。今年本厄。厄払いはとりあえず正月にしてもらったけれど、効果は如何程か…。

最近、お仕事が向いていないんじゃないかと思ってしょんぼりしています。転職したい。けれど切り出せない。そんな感じ。

趣味としては、ずっとV6が好きだった。ジャニオタになれるかも!と思った時期もあったが、結局V6へ戻る。鮭の遡上のよう。とはいえ、めちゃくちゃ熱心なファンというわけでもなかった。ファンクラブも入っては年会費払うタイミングで面倒くさくなって抜けて、の繰り返し。あのダサダサキーホルダーが3つほど家にある。ひどい。けれど、そんなじんわりと愛していたV6も今年で解散だ。V6にはいろんな思い出も勇気ももらったから、振り返って記録に残しておきたいなあ。

もう一つは、ゲームやアニメが好きなんだけれど、最近下火。最後にハマってたのはアイドルマスターSideM でもゲーム追いかけるのに疲れてしまった!ライブもちょいちょい行っていました。声優さん達すごいなあって、いつもキラキラしたものをもらっていたよ!ちなみにAltessimoが大好きだ。

アニメといえば、PSYCHO-PASSが好きでアニメはずっと追ってます。宜野座伸元が大好き。4期めちゃくちゃ楽しみにしてます!

あとは、二次創作もちょっとしていたけれど、すっかり書く気を失くしてしまった。そういうこともあるよねってことで。

結婚はしていないし、恋人もいない。婚活とかちょっと頑張ってみるけれど、いつも頓挫する。なんか、苦手なんだろうなあと思う。恋愛とか。

猫が好き。今まで猫しか飼ったことがないくらい猫が好き。

コスメも好き。集めすぎちゃって使いきれないから、最近はセーブしてますよ。

カフェとかも好きなんだけれど、緊張しいなのであまり開拓はできない。コーヒー好きです。

掃除が苦手、片付けも苦手。だけどミニマリストに憧れている。ああ〜家の荷物を思い切って捨ててしまいたーい!

 

大体こんな感じです。今は、とにかくV6の解散で心の整理をしている最中だからきっとV6のことを書くことが多くなりそうです。